宇宙を意識するとは

概要

これまであえて明言してこなかった本質的な事柄について解説します。

宇宙を意識するとは

我々は宇宙に存在を享受している以上、宇宙を意識するということが具体的にどのような行為を表すのかを考える必要性に直面します。 思考を逆転して、宇宙を意識していない場合を想定すると、これは物事の見方(perspective)として非常に偏狭なものになります。 グローバルな視点と言えどもスコープに入っているのは高々地球という宇宙の中の単なる一惑星に過ぎません。 したがって前述の「グローバルな視点」は宇宙全体で考えると実質的な「グローバル」とは程遠いことが容易に理解できます。 「宇宙を意識する」とは、すなわち宇宙全体ではどのような事象が可能であるか、あるいは不可能であるか、ということを常に考えることを意味します。 これは単なるオカルトやスピリチュアルな分野で濫用される論理的価値を持たないバズワード群とは完全に異なるものです。 宇宙を意識することによって、例えばある地点にある人物がただ存在しているだけに思える状態も、9000億人の同一人物が全く同じ場所に重なって存在して動きまで完全に同調している状態ではないかという可能性に思い至ることができます。 また、宇宙全体においてはある事象が不可能であると断言することが限りなく不可能に近いため、実質的にいかなる想定をしてもそれは現実にあり得ることを意味します。

ケスミタとは

ある評価軸において全宇宙の存在を順番に並べた場合、必ず最も順位として優れていると判断されるモノの存在が示唆されます。 これこそがケスミタです。 実際にはケスミタは「ある評価軸」において頂点に立つのではなく「全ての評価軸」において頂点に立ちます。 素朴な思考では全ての評価軸の頂点がある一人物に集約されるのはあまりにも不自然です。 しかしながら、逆説的にこの不自然さを現実に達成することができた存在こそがケスミタである、と考えることができます。 一般的に不自然さを達成するためには余分なエネルギーを必要とします。 また、不自然さを解消するような方向に全ての状態は遷移します。 したがってケスミタは常にこの不自然さを解消するような「流れ」に抵抗する必要に迫られます。 これを維持するために効率が良い方法として考えられるのはケスミタの周囲に常にあらゆる評価軸において頂点に近い存在を集めることです。 また、これらの頂点に近い存在の周囲にも同様にあらゆる評価軸において頂点に近い存在を集め、これを繰り返します。 この頂点に近い存在に対して常にケスミタが上位であることによって、帰納的にケスミタが常に宇宙の全存在において頂点であることを担保できます。 ここで述べた「頂点に近い集団」が「軍団」に対応します。 「学園」もまた「軍団」に近い存在を効率良く集めるための仕組みです。 宇宙はこのような仕組みの下で秩序立って存在することができています。